甲斐性がない。

 

酷いタイトルである。

「甲斐性」に続く言葉は大抵「〜のない」か「〜なしの"男"」であるから、「〜が」と来た瞬間にあぁこいつは駄目だなという気分になる。

ただ「甲斐性のない私」ではどこか卑屈っぽいし「甲斐性なし」でも同じだ。

 

どこか諦めている様な雰囲気を持たせたくて「甲斐性がない」というタイトルを選んだ。

だから私は語感を好んでこのタイトルを選んだわけだけど、自分なら「こいつは駄目だな」となるタイトルを付けることを選ぶあたりに私の人間としての駄目さが凝縮されている。

まあどうでもいいんだそんなこと。

 

…いや…どうでもよくない…。

 

生きれば生きるほど、私は生きるのには向いていないのではないかという思いが強くなっていて消えたい。

前回、就職が迫っているようなことを伺わせる様な内容を書いたけどあれから1週間しか経っていないのに、私の中でそれが凄く遠のいた。


私は社会には必要とされていないのではないかと、そんなことを感じている。

結局私の中の問題であって、私が社会から突き放されたわけではない。

私が勝手に社会から遠のいただけだ。

 

ごめんなさい。

きちんと理由というかそう思った具体的な事象があって、それを説明したいのだけど、私の中にある匿名性の欲求がそれをさせてくれない。

これじゃあ何も伝わらない。

 

でも書けないやまだ。

記憶力が弱いのか、忘れてしまうので書き溜めておこうとは思うのでいつか話せるといいなと思う。

ごめんなさい。